神社の敷地の一角で守られているもう一つの兵屋。有形文化財です。
蜘蛛の巣をくぐって見学。
兵屋番号140番
佐藤喜一郎さん宅。佐藤さんは地元出身で一般開拓者の息子でしたが、明治8年に屯田兵の募集に応募してこの家に入居したそうです。
なんてゆうか古い。これの前に見た兵屋はずいぶん綺麗でしたが、これは本物っぽい古さとボロさです。
この家も内部は土壁でしたが、資料読んだらどうやら一般兵の家も土壁だったようです。別の地域の兵村資料によると「兵屋は板壁で土壁の家は将校だけ」とあったので、地域によって待遇違ったのかも? 第一中隊やるじゃない。
130年前、この神社の周辺は兵村だったわけですが、後にすぐ近所からこの一軒を神社に移転して保存してきたそうです。
佐藤さんは明治天皇が北海道に来た時に宿屋の警護に選ばれたことと、熊狩りの名手だったことで名前が記録に残っているそうです。
ここは現在市街地ですが、まだ開拓が始まったばかりの当時は羆が普通に歩いてたと思います。暴れ熊を屯田兵が退治したこともあったらしいですが、佐藤さんは単独でも共同でも熊を仕留めるのが上手だったとか。アイヌのトリカブトの毒矢も使い仕留めていたそうです。
そして熊害犠牲者が多かったためか、開拓使から奨励金として羆一頭15円がもらえたと資料に書いてあります。当時は米一俵(60㎏)が3円50銭……熊狩り美味しいですね。
でも羆って追い回すと待ち伏せされて背後からかかってきたり、仕損じて手負いにするとパワーアップして相手かまわず暴れまわったり、こっちに悪気が無くても邪魔者だと認識されてしまうと殺されるまで追い回されたりと、なんかもうB級ホラー映画のモンスターみたいなエピソードをよく聞くので、15円もらえてもうっかりすると死ぬと思うと楽じゃない。
羆とスズメバチを過剰に恐れている私は、この佐藤さんがちょっと好きになりました。開墾のことよりまず羆のことで。
そんな佐藤さんちを拝見します。
おじゃましまーs……
暗い……
さっきの家と違ってずいぶん暗い。周りが林だから? でも資料にも兵屋の中は薄暗かったって書いてあったし、この建物の古さも含めて限りなく当時の様子に近いのではないでしょうか。
暗いながらも何やら家財道具などが沢山置いてありますね。ロープが張られていて囲炉裏の間には上がれないようですが。
農具。暗い家にこんなの置いてあるとちょっとホラー。でもどこかホッとする生活感のようなものを感じます。
藁でできた蓑(みの)とかんじき。蓑って、いかにもマタギが羽織ってそうなイメージですね、クールです。実際寒そうですクールなだけに。かんじきはスノーシュー的なアレですよね、手練れは木の枝で自作するという。
なんとも昔臭い釜と桶!
これで飯を煮炊きしたんですね。使ってみたい……
部屋の端に備え付けの台所があったらしいんで、そこで調理したんでしょう。囲炉裏も使ったのかもしれないですね。
台所は埋もれててよく分からなかったけど、時代・暮らしぶり的に明らかに水道とか蛇口とか無い……。
北海道は、函館や小樽などの都市は明治20年代に水道施設が整備されてきたらしいですが、道庁所在地・札幌は水道の整備が遅く昭和に入ってから。市内のど真ん中を横切る川のお陰で質の良い地下水が取れたのがその理由なんだそうです。知らんかった。
そうえいば、前の兵屋に電線の付いたランプがあるから電気が通ってるんだと判断しましたが、屯田兵の暮らしぶり的にこの時代に電気は無さそう……と思って調べてみたら、北海道に最初に電気が通るのも明治20年代に入ってからのことでした(屯田兵制度は明治7~37年まで)。一般家屋に電気が通るのはまだ先だろうし、明かりは全て炎だったんですね。暗そう。
火だけを明かりとして頼る暮らしってどんな感じなんでしょう。なんとなく想像つくけどサバイバルですね。
囲炉裏にはヤカンのようなものが。
奥の8畳間にも色々あるので、8畳間の窓(縁側?)から覗いてみました。
左の白い掛け軸は資料室にもありましたが、流行りだったんでしょうか? それとも「おまいらこれを目標にしろ」とかって兵村で配布されてたんでしょうか。
広さや間取りは、①②で紹介した兵屋と同じで銃架や囲炉裏も同じ場所にありましたが、やはりこちらの方が古いです。畳も土壁も古い。
そんなことより8畳間にある骨董品の数々が気になって仕方ない。入って良いのか分からず外からの見学のみとしましたが、近寄らないと読めないような小さな説明書きが奥にもあったので入って良かったのかも?
すぐ傍らに掛け軸が。
アラブ級にボリュームのあるヒゲの兵隊がドラゴンと対峙していますね。なんか文字で軍人の心得的な物が書いてありますが、遠くて読めん。
奥にも軍人の掛け軸が。
やけに凛々しいけどこの人どこかで……と思ったら明治天皇でした。
白黒写真。
拡大しないと分からないけど、兵村の写真でした。これ当時のこのあたりの様子らしいですよ。写ってる一軒一軒がこの兵屋です。てゆうか木彫りの恵比寿さんが不気味に笑っています。
制服だー!(゚∀゚)
右のがいかにも昔の兵隊さんって感じですね。中央のは正装でしょうか。左の殿様みたいゴージャスな羽織は何なのか解らん。制服の下に『家訓』って書いた額が置いてましたが、遠すぎて読めませんでした。家訓って今時あまり聞かないし(それもよその家のだし)気になります。そして上の『天壌無窮』の書。
※天壌無窮 天地とともに永遠に極まりなく続くさま。
▽「天壌」は天と地。「無窮」は極まりないさま、永遠の意。
出典;日本書紀
用例;肉体は必ず亡滅してゆく約束のものであり、心はこれとは正反対に、天壌無窮を約束された永遠なる生命に所属するものだ。<山岡荘八・伊達政宗>
(goo辞書より)
なんかよく分からいけど立派な言葉です。
でも正直、↑の書は文字のバランスとかかなりアレだし、一家の爺さんか親父が書いて飾っといたような感じがする。
奥の四畳半。窓がボロ。板と紙の窓。これでは冬が……!
さて、建物の裏手に回ってみることに。移転前はこの裏手側に庭の畑が広がっていたのです。
と思ったら兵屋の横には……
電柱がなんでこんなところに。と思いきや解体された鳥居のようです。撤去した古い鳥居を取りあえずここに置いてそのまま忘れられた感じですが、まさかこれ明治初期当時の鳥居だから保存されてるとか? わかりません。
裏手。手前の窓が四畳半部屋です。
最初に訪れたこの兵屋と比べると、この佐藤さん宅のボロさがかなりリアルというか本物っぽいですね。最初に訪れた清野さん宅は補修したりしてるからこんなに立派なんでしょうか。もしや場所が住宅街で人目に付くから見栄?
神社内の佐藤さん宅は塀に守られひっそりしています。
ちょ てゆうか基礎が……!
石。この家は石の上に建ってたのか……。
これ地震来たら石がゴロゴロゴローって転がって家が動きそう。それともこれは移転の際にこうなったんでしょうか? 綺麗な方の兵屋ではちゃんと地面に家が建ってるし。
暗い裏手で蜘蛛の巣を潜り、見つけましたトイレのドア。
画像はカメラのせいで明るくなっていますが、実際は何とも陰気な暗い便所のドア。
手前にある笠立てみたいな箱、前の兵屋にもあったけど何でしょうね。鋤とか農具でも立て掛けておいたんでしょうか。
とりあえずこの陰気な便所のドアを開けてみます。
ギイィィィ……
……。
……こいつはレベルたけえや。
昼間なのにドア閉めたらこれかなり暗い。窓の格子の間隔がすごく狭いんですよ。前の兵屋では、これ踏み台置いたら外から覗けるじゃん……ってくらい間隔が広いお陰で明るかったんです。
臭いや虫もすごかったかもしれないけど、おまけにこの陰気な雰囲気が。ムードがいかにもハイレベルな「不浄」です。
わたし個人的には草むらの中でした方がマシ! むしろその方が清々しい! なトイレです。
しかもこれ、前の兵屋では便器の穴は完全に塞がれていましたが、ここでは木製和式便器の上に板を置いてあります。しかもただ蓋として置いてあるだけで、固定されてもいない。
便器の蓋をあけますか?
⇒あける
やめておく
これは開けて中を確かめるしかないだろ。
あっ、あれ?
地面が見える……だと。
どうやら移転の際に床下(地下)部分は持ってこなかったみたい。衝撃の光景とか予想してましたが、すごくホッとしました。しかし何故か屋内より床下の方が明るい。
それにしてもこのトイレ、冬場は中身が凍結したんじゃないかと思います。臭わなくて良いけど、氷柱ができる原理の逆バージョンで汚い氷柱が上に向かって伸びてきたりしなかったんでしょうか?
見学の閉めがトイレというのもなんかアレですが、これにて兵屋見学は終了です。
社務所に寄ってみたら屯田兵をかたどった土鈴があったので購入。
あと何故か縁結び守りも。可愛いです。
この後、屯田兵資料室に寄ってみました。西区役所の横に消防署がありまして、何故かそこの二階が資料室です。月水金しかやってないけど、当時の写真や農具、ほか様々な資料が展示してあります。
屯田兵の名簿やよもやま話系は面白かったです。
ガラスが反射してて見づらいですが、屯田兵の制服。兵屋にあったものとはまた違いますね。多分、洋風の軍服が導入された直後の制服だと思いますが……ハァハァ
軍服や装備は、昔も階級を問わず民間の店で自前調達したり改造することも多かったそうで、細部では公式の軍服と違ってたりしたそうです。人によっては好みや経済状態が反映されてたらしい。将校の間での流行やトレンドとかもあったらしいですよ。昔の軍人なりのファッションの楽しみ方とか格好の付け方とか、どうゆうのがクールだとかアレは野暮ったいとか、色々あったんでしょうか。ものっそい気になる。誰か戦前の青年将校呼んできて。
まるでこのブログに晒されることを拒否るかのようにガラスが全力で反射していて見づらいですが、こちらは正装ですね。明治維新以降、近代の日本の軍隊はフランスやイギリスを色々参考にして作られたそうですが、陸軍の制服はまずフランス(後にドイツ)を参考にしたのだそう。言われてみればフランスっぽいです。知らんけど。
よく見るとオレンジ色の人がガラスに写っていますが私です。
さらによく見ると最近見かけなくなったピンク電話も写っていますね。作業机のところに男性がいました。資料室の関係者らしい。
最後に神社で購入した屯田兵の土鈴。
可愛いな。
(◞‸◟) そんな顔すんなし
……資料室の軍服は軍オタとしてではなく腐女子として、BL的なアレで興奮します。先人に対して無礼千万どころの騒ぎではありませんが、無礼は百も承知で興奮してきましたハスハス
そういえば昔、何かのテレビで屯田兵が題材の小説で同性愛要素(有)な文学作品が紹介されていましたが(多分NHK)、誰か知りませんか。控えるの忘れてしまいました。
記憶が確かではないのですが、屯田兵の物語だったはず……
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