兵屋跡を出て、もう一軒を目指し商店街をしばらく歩きます。
琴似の地下鉄とJR駅周辺は札幌の副都心の一つのような街で、学生時代に毎日通っていた場所です。およそ130年前にはここは原生林で開拓者達が血と汗と涙を……みたいなことは考えもせず、友人と遊んだり飲み歩いたり勉強したりしていました。
今ではもう行く用事は無くなりました懐かしの琴似、兵屋跡見学の為に数年ぶりに訪れたわけですが……なんか在学中から卒業後から周りで色々あったんで、懐かしいというより虚しかったです。
いつも他人のせいで事件に巻き込まれます。行く先々で事件が起こるコナンに似ている。この世にバーローが多いせいで善良な私が苦しめられます。
思いがけず鬱地雷を踏んだけど目的地がここ。
琴似神社です。
懐かし。
この神社境内のどこかに、もう一つの兵屋跡が残されているというので探すぞ。
入植してきた屯田兵が作った神社がここ琴似神社の創始で、いろいろあってこの姿になったんだそう。鳥居をくぐるとすぐ右手には屯田兵の授産場跡の碑があります。生活の足しにする事業で養蚕やってたらしい。
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養蚕といえば小学生の頃、空気の汚い室蘭の輪西の隣町に住んでいたころですが、なぜか教室で蚕の観察・飼育をしました。幼虫の餌の桑の葉は、毎日交代で山から新鮮なのを採ってくるんです。
毎日世話して観察してて、キモい蛾の幼虫くせに深く情が移ったりしたもんです。
そしてそれは授業の一環として長期間にわたって続けたのですが……忘れたころに繭から蛾がでてきて、みんなで観察していたら教室中に卵を産み付けられ、幼虫をお散歩させてたら掲示物の紙と掲示板の間に繭をはってしまったり……一時期、蚕蛾まみれの教室で授業を受けていました。
しっかり彫られていますね。左は毬みたいなデザインの玉を持っています。たまに見るけど何なんでしょうねこの玉。
玉はわからんけど阿の像(左)が口を結んでいる理由は、おのれが発した言葉の重さと責任を反芻し、その意味をしっかりと腹で受け止めようとしている様子なんだそうですよ。そう、本来は自分の発言の責任を考えない人間は喋らない方が良いんです。残念ながら私も駄目ですが……
いかに駄目かは普段の記事でお察しください。
それにしても、ここの狛犬はわりと現代的な彫られ方のような気がしますが新しいものなんでしょうかね?
参道を進むと神門の前にもう一組。
左は子連れタイプですね可愛い。
やはり犬よりかは猫っぽいですね狛犬。
ここの狛犬は角無しタイプでした。毛がモコモコしてるから分かりにくいけど、今んとこ私が市内で行った神社で角のある狛犬は北海道神宮境内にある穂多木神社のみです。見落としてなければ……。
⇒穂多木神社とは北海道拓殖銀行のお偉いさんを奉っているのですが、拓銀は十年以上前に破綻して無くなったので、名前が忘れられつつあるようです。
住宅街に食い込む形で敷地に奥行きがあり、まっすぐ進んで神門です。
神門
両脇の柱にくっついてんのは松? 昔は榊の育たない地域では代用に松などの常緑樹を使ったそうですが、ここに松があると正月っぽい雰囲気に感じますね。
平日の朝なのに参拝者が多く訪れていました。この日の翌日は屯田兵所縁の祭事だったようです。
この神社、学生の時に一度だけ立ち入ったことがありますが……
こんなキ○ガイエピソードがあります。
夕方の帰り道、確かこの神社が祭りか苗物市の日だったと思います。友人と参道を通りかかったので寄り道してみたんです。お参りしたかどうかまでは覚えてない。
適当に見物していたら、絵馬を発見しました。当時の私は知らなかったけど、ここは学問の神様も祭ってあるので受験生にも人気なんだと思います。
それで私と友人と、たまたま世間話を振ってきた通りすがりのご老人との三人で、様々な願い事の書かれた絵馬を眺めてはふざけて冷やかしていました。
爺「昔は馬を奉納したんだ。それがいつの間にかこぉんな板っきれの絵馬になったんだよ」
私「じゃあ馬の形の板にすればよかったのに」
爺「www」
友「ちょwww何あの大きい絵馬www」
見れば何やら一枚だけ馬鹿でかい絵馬が下がっている。
よくみるとそれは神社でもらえる絵馬ではなく、ホームセンターなんかで売ってる木製のドアプレートでした。よく子供部屋のドアなんかに『○○のお部屋♪』みたいにして下げとくやつ。プレートはアヒルの形してました。
私たちは、有料の絵馬を受け取らずに板を持参するとは図々しい奴がいるぞと笑って、どんな願い事か見てやろうと思ったんですよ。
そしたらそのプレートに細かな文字で「○○の怨み、○○の怨念、○○の復讐、○○災難」(←一例)ってぎっしり書いてありました。裏表にぎっしり。
(((((;゜Д゜))))) (((((;゜∀゜))))) (((((;´Д`)))))
左から友人・私・爺。
ご老人はそれはもうドン引きしてらっしゃいました。
○○の中には、それぞれ違う言葉が当てはまり、どうやらプレートの持ち主さんは個人ではなく自分が属するコミュニティごと壮大な恨みを抱いていた様子です。思わず読んでしまったのですが、人間関係の破綻や誰かの死を願うとも受け取れる文字の羅列もあり、なにやら本気でクレイジー。
イタタタタw
なんかこんなの神社的にもマナー違反だし鬱陶しいから叩き割ってやろうかとも思ったんですが、まぁ境内でそんな狼藉はちょっと……。で、考えてるうちに神社にも飽きて、ご老人に楽しい話のお礼と別れを告げ、友人と飲みに行って絵馬のことはこの日に神社を訪れるまで忘れていました。
今思えば、ネタ用に写メでも撮っておけば良かった……
あんなものに同情するのは馬鹿馬鹿しいけど、神社に自分の怨念を込めたドアプレートを託すことで犯人の気持ちが少しでも明るく晴れていたら良いですね。
ガチでキモイけどな(ボソッ
そんな昔のことを思い出しつつ、拝殿周辺を徘徊。
絵馬掛け所は異常なし。
○区海軍桜?
文字が消えてますが、ここは西区なんで西区海軍桜でしょうか。海軍OBの人たちが献木したのかもしれません。境内の一角で、琴似屯田兵二百四十柱(柱!)が氏子さん関係の靖国英霊とともに祀られていました。
なんかすげぇ。
もうとっくに死んだ人たちなので死人に口なしですが、郷土紹介のパンフレットなんかには「後世のため第二の故郷を発展させるために辛くても家族で頑張った」とあります。入植先であるこの土地に愛着を感じ、本当にそう思って頑張った人もいるかもしれませんが、実際に兵村で暮らしていた人たちの証言を読むと全てを美談として片づけることはできませんね。彼らのような人たちに、勝手ながらも敬意を払ったり感謝したりするのは当然ですが、現代を生きる自分たちが学ぶべきことや反省しなければならない事柄にも気づかされます。
しかしこの桜、根元に若葉が生えていますが、枝は……
花も葉も無い。ちょっと膨らんだ芽が付いてるから枯れてはいないようだけど……八重桜も散り始めた五月下旬、平地に生えててまだ葉もつかないなんてどこか具合でも悪いのか、それともこうゆう種類なのか。
目的を忘れて拝殿を覗きこんだり、学問の神様・道真公に今からでも頭が良くなるようにお願いしたり、ちょろちょろしていたら片隅に発見。
兵屋跡への入口。
拝殿の右手にひっそりと出入り口がありました。
入口の向こうに兵屋が見えます。
では早速おトイレチェックにGO!
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