こないだ骨董屋を訪ねるつもりでしたが、店が無くなって別のテナントが入ってましたorz
テナントてゆうか某政党のアジトになっていました……。
とても残念です。
どうやら移転を繰り返しているようなので、あきらめずに行方を追ってみます。骨董市なんかにも出品してるようなので。
それで予定が消えて、時間を潰すために神社まで歩きました。
シンプル鳥居。
シンプル鳥居は厳粛な感じがしますね。
←のタイプを神明鳥居ってゆうらしいです。
逆に笠木が剃っていて赤く塗られているようなゴージャス鳥居は荘厳な感じがすると思います。でも地元でゴージャス鳥居ははあまり見かけないです。
なんで場所により鳥居のタイプが違うのか不思議だったけど、寄贈した人の好みの問題らしいです。
それでなんとなくググって調べてたら、三柱鳥居という見たことない形の鳥居を見つけました。
三つの鳥居が背中合わせに合体したような。
説明できないから絵で何とかなるかと思ったけど、絵心も無い。
だいたいこんな感じなんですが。
なんかSIRENで蛭ノ塚にもこんな形した、しょぼい木のゲート(?)みたいなのがあった気がする。
石窟がある廃屋前の階段を上って行くと、屍人がこっち見てない隙に市子ちゃんを引き上げる段差がありますよね。二股の道が一本に合流するところでこんな感じの残骸みたいなのがあったような気がするんですが……三柱鳥居だったんでしょうかね。
この鳥居、神社も何もない山の上にぽつんと存在していたりするそうです。山自体が神山だったり太陽を奉ってたりするのでしょうが、なんかビジュアル的にはオカルトですね。
この鳥居の中心に井戸が設けられているところもあるそうです。それなら貞子も封印できそうですね。
ここの狛犬は結構怖い顔してる。
神社の隣には、
新琴似屯田兵中隊本部が有形文化財として保存されています。たまたま見つけたんですが、名前からして私が食いつきそうなあれですよね。
でも一般公開は四月からだったorz 冬季はお休み中のようです。
屯田兵というのは明治時代に北海道にいた兵隊のことで、警備や開拓をしていた部隊です。
屯田という言葉は各地で地名になって残っています。あと「とんでん」という名前の和食ファミレスがありまして、海鮮丼やお刺身などが充実していますが値段が高い。
彼らは道外から家族連れで入植してきた士族と平民からなるそうです。ファミレスじゃなくて兵の方ね。
当時の日本は徴兵制でしたが、屯田兵は志願制だったらしい。そして当然厳しい規則の中で生活していたそうです。
普段のお仕事は軍事訓練や警備、災害救援の他に畑仕事や試験農業、道路や水路の開発といったインフラ整備など、屯田兵制度が始まってから廃止される30年くらいの短い期間でかなり色々やっていたようです。それ以外では日清戦争や日露戦争にも参加したとか。
(全部wiki調べ)
まぁ中隊本部と言っても古い木造の建物です。そんなに大きくも無いけど、屯田兵第1大隊第3中隊の本部として明治19年建造。
周りめっちゃぬかるんでて歩くの大変だった。
右側に中隊長室、下士官集会室があり、当時兵村だったこのあたりの役場的役割だったらしいです。
建築技法も当時の流行を反映した造りで、重要な郷土資料ですね。
屯田兵解散後も地元民の集会場として使われてたとか。
四月になったら中に入れるようなので行ってみたいです。
札幌市北区の新琴似にあります。
無くなってた骨董屋というのが某ブログで最近知ったんですが、日本軍の軍服や軍装に相当の力を入れている店だったようです。
なんでも博物館や資料館でもお目にかかれないような貴重な品々をこの手に取ったり、聞けば店員さんが一つ一つ説明してくれたりできるという、私らのような人間にとってはそれはそれは夢のようなお店です。
記事の紹介によれば、各種軍服に鉄帽に軍靴、背嚢やスキー板、記章や階級章に兵隊杯、砲弾、とにかく色々……補給基地のような店に見えました。
これはもう入り浸るしかないとまで思いました。しかも店にいる猫が、うちの三毛猫と瓜二つってゆう。
ああゆう品々を見ていると、一つ一つに元の持ち主がいたわけで、例えば出兵して戦った兵隊やそれを送り出した人、生還を果たした人や帰れなかった人のことについて何となく考えます。
そして、二度と戻らぬ者に涙を流す人々を思うと虚しい気持ちになります。
ああゆう物は戦争に関するせめてもの記憶の一つとして後世に残しとけばいいと思いますが、今は海外にどんどん流出しているようです。
金持ちの外国人がかき集めているとかなんとか。流行ってんですかね?
どっかで聞いた話で車、軍刀使った下品なショーとかウケてるらしいです。
ただ、あの骨董屋を紹介していた記事でも触れてありましたが、モノによっては法律的にクリアしているのに何故か没収されてしまうようで……それなら海外で展示でもされてた方がマシですね。
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