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軍事と自然散策と女性向け表現有り
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豊平館

タイガー&バニー面白いです。
面白いって言うのはつまりホモ同人的な意味で。
以下、タイバニとは全然関係ない地元の話。

札幌、すすきのの繁華街のちかくに、中島公園があります。
ボートハウスのある池があったり、コンサートホールがあったり、広場では園芸市やフリマが開かれたり。公園の裏手の地区には昭和の匂いが漂う古い店や、立派な家、値段が高そうな分譲マンションが並んでいます。

下の写真は明治か大正の札幌市中島公園です。まだコンサートホールもマンションも無い時代……。
中島公園奥に写っているのは藻岩山です。現在もこの池はありますが、山はビルに阻まれて見えないと思われ。

写ってるボートの人、服装が警察か軍人のように見えますが……兵隊なら歩兵25連隊の人でしょうか。なんで一人でボートなんて乗ってるんでしょうね。乗ってみたかったんでしょうか。

で、この中島公園には豊平館(ほうへいかん)という白い建物があります。
豊平館6~10月の第二火曜日は内部が公開されているので、行ってきました。

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豊平館。
豊平館お国のVIP用宿泊所兼西洋料理店だったらしいです。
最初のお客様が明治天皇、それから大正天皇・昭和天皇の行啓の宿泊所にもなりました。
その後は公会堂として使われたり、敗戦後は米軍に接収されたりした後、現在は結婚式場。重要文化財に指定されていますが、館内の各部屋は一時間ごとの利用料が定められており、結婚式意外でもお金払えば使えるみたい。
元々この場所ではなくテレビ塔のちょっと北側らへんにあったのが、昭和33年に公園内に移築されたのだそうです。

正面玄関、バルコニーの柱。
豊平館作りが細かくて、綺麗な水色です。
開拓時代にこんな建物があったらきっと目を引いたことでしょう。オープンしたのが明治14年とパンフに書かれていますが、明治14年と言えば札幌市内もまだ屯田兵が原生林と格闘していた頃のはず。
公開されている日なので、正面玄関から中に入ってみました。
豊平館 ロビーノスタルジック!
階段の下になんか金色の小人のようなものが三体ほど写り込んでいますが、これは一体……カメラのレンズにシャンデリアの光が反射したんでしょうか。
小さい人が走り回っているように見えて、写真を見た妹が震えていました。
シャンデリアは部屋によってモチーフが違い、天井に掘られた模様も部屋によって花とか鳥とか。
6444d211.jpg古い建材とラピスラズリの原石。
外壁の水色は、当時はラピスラズリから作った物なんだそうです。ウルトラマリンブルーという色なんだそうですよ。
豊平館 2Fホール二階ホール。
館内の赤絨毯は、雲のようなまだら模様が出来ていました。
たしか高級絨毯に自然と浮き上がるという……

二階には壺や天皇が座った椅子なども展示されていました。

豊平館 広間18dfe057.jpg広間とシャンデリア。
暖炉がある。
41184d1e.jpgこんな感じで食事をしたりするらしいです。
広間をうろつきながら、昔だし偉い軍人とか来たのかなぁと想像しました。三沢&一藤さんに置き換えて想像しました。
78771b9a.jpg天皇が来た時の様子。
山は藻岩山でしょう。麓には集落、左の奥の方にある山は恵庭岳でしょうか。天気のいい日は札幌からも見える立派な山ですが、活火山です。
集落のところに、見送りの群衆らしきものが描かれています。自分たちが血のにじむ思いをして開拓した土地に天皇が視察に来たのだから、当時の時勢を考えても相当盛り上がったのではないでしょうか。「行啓」が通りの名前になっていたり、天皇が名前を尋ねた立派な古木(枯れたけど二世が現存)が「お声掛かりの柏」と呼ばれたりしています。

豊平館二階の小部屋から。
正面バルコニーのある部屋です。中島公園の池と緑が望めます。
梅梅の間。
天皇が宿泊した部屋らしいです。
隣には寝室が。
梅の間梅の間
カメラのせいで明るく写っていますが、館内はランプ風の明かりと自然光のみで照らされていて、薄暗かったです。

平日でしたが見学者も多く出入りしていました。
そういえばここは予約制個室レストランにもなっているらしい。あの暖炉がある広間で大勢で立食パーティーを開いたり、少人数では↑くらいの規模の個室で食事をしたり。料理のお値段は庶民でも手が出せるものでしたが、部屋の使用料はまた別にかかるのかもしれませんね。
メニューはぐるなびに載ってました。
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