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軍事と自然散策と女性向け表現有り
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和人の女が田舎へ行ってきました。
田舎者が田舎エンジョイしてきました。 田舎から高速バスでさらに田舎へ二時間ちょっと。 その名も岩内群(いわない)は岩内町というところですが、これといって観光地でもないので知名度低そう。海産物おいしかったです。マグロも普段食べてるのと全然違ったし、脂ののったヒラメもウニも美味しかったです。 岩内市街地から海沿いの雷電国道を南下、ひっそりした漁村を過ぎると雷電岬に着きます。寿都郡黒松内町(すっつ群くろまつない町)です。 寿都の語源はアイヌ語のシュプト・ペッ(「ヨシの川」という意味)なんだそうです。ヨシって植物の葦? そして黒松内はクル・マツ・ナイ(和人の女のいる沢)が語源で、黒松とは関係なさそうですがブナの北限の地だとWikiに書いてありました。このあたりが北限とは知らんかった…… 雷電岬の先には、なんかやたらとんがった変な岩が。 昔、義経一行がここまで来たという伝説があり、弁慶が捻じ曲げて刀を掛けたのがあの鋭い岩だと言われているそうです。 拡大しないと画像では分からないと思いますが、妙に鋭利で目を引きました。岬にはよく変な形の岩がありますが、これまた個性的ですね。 記事の続きは↓をクリック PR 戦跡めぐりの散歩シリーズ。
前回http://olivedrab.kakuren-bo.com/Entry/254/#moreの続きです。 あっちへふらふら、こっちへふらふらしながら月寒の歩兵25連隊由来の戦争遺跡を中心に見て歩いています。 今回は資料館見学。志村のおっさんの銃もあるよ! まず、「つきさっぷ資料館」がある月寒(つきさむ)について。 月寒とは札幌市内の地名ですが、昔はツキサップ村と呼ばれていたのだそう。 北海道の街や川・山などの名前はアイヌ語が由来の地名に無理やり漢字を当てたものが多いですが、ツキサップはアイヌ語のチキサプ(火を起こす道具のこと)からきているらしいです。チキサプの原料になる木が生えていたから、という説。 かつては月寒でツキサップと読んでいたようですが、当て字すぎて無理がありますね。それで陸軍の要請で漢字そのままに「つきさむ」と読むように変更されたそうです。多分、地図とかに「月寒」って書いてあっても余所の土地から来た人は絶対に「ツキサップ」とは読めないはずなので、軍の仕事的に不便極まりなかったんだと思います。 そんな月寒村にはリンゴ畑と、あと軍の施設が色々あったそうな。 かつて、北部軍司令部と司令官官邸のほか、25連隊の兵営や幹部の官舎、防空指揮所、練兵場や演習場、陸軍病院や陸軍墓地など、軍関係の施設が多くあった所だったと私も最近知りました。要所ですね。 軍の施設以外は村と畑だった月寒ですが、今はごく普通の市街地です。地下鉄も通っていて、結構栄えています。司令部や兵営の敷地だった所には学校や住宅・マンションなどが建っています。前回に紹介した忠魂納骨堂や司令部の門柱などは残されていますが、それ以外は特に旧軍基地の面影はありません。 25連隊、北部軍司令部のすぐそばにあった司令官官邸が、現在はつきさっぷ郷土資料館として無料開放されています。郷土本なんかで戦跡について調べたりしていますが、この資料館は別件(秘密の地下通路の件)で地図を眺めてる時にたまたま発見して存在を知りました。 ここでは主に月寒開拓に関する資料、月寒25連隊や北部軍司令部に関する資料や文書などが展示されていて、レトロな雑貨や軍モノが充実しています。開拓時代の生活用品なども多く、骨董なんかに興味がある人が見ても面白いんじゃないでしょうか。 もちろん突入しました。 以下、与太話を交えつつ紹介していきます。というかほとんどが与太話です。 続きは↓をクリック 新琴似屯田兵中隊本部を見学しています。 |