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北部軍司令官官邸(つきさっぷ郷土資料館)②

\ちわっす/
つきさっぷ資料館かつて北部軍司令官官邸であった、つきさっぷ郷土資料館の続きです。
入場無料と聞いて気軽に入りましたが、資料館関係者は沢山いたけど見物客は私だけだったみたい。
昔の和服と防空頭巾姿で佇む外国人女性w
でも案外似合ってますね。
つきさっぷ資料館ここは昔の生活用品を展示してある部屋です。
これは火鉢ですね。
これでどの程度の暖を撮れたのか……札幌では心もとないにも程があるぞ。

記事の続きは↓をクリック。
国民服や配給券らしきものが。
 
つきさっぷ資料館和風箪笥。
こんなレトロ箪笥が欲しいですカッコいい。
箪笥の中には着物が詰まっていて、上にはこれまた古風なラジオが置いてありました。
つきさっぷ資料館しかもこのラジオ、普通に稼働していました。国会中継を放送中。音質も普通。
実は中身だけ取り換えたとか? 当時のままだったらすごい。
つきさっぷ資料館つきさっぷ資料館
国民服です。
説明書きによると、昭和15年ころから男子国民服というものが着用されるようになったのだそう。明治時代の改革から使われたカーキ色で、この色なら他の色の服も簡単に染められたため、国防色と定められました。
当時の陸軍が、日本が非常時であることを理由に被服の統一運動に取り組んだそうで、男はみんな着てたみたい。私の曾祖父の少年時代の写真でも、こんな感じの上着を着用していたのを見た記憶があります。白黒写真ですがね。
中学校の制服も、成人男性の服も、男はこの色の国民服だったそうで。さらに右のように紫の紐(儀礼章と呼ぶらしい)などを付けて、正装として冠婚葬祭でも着用されたようです。

服、選ばなくて済むから楽じゃん。と思うなかれ、戦争の為に軍備を増強して行った時代、いざとなったらいつでも軍服として着用できるように、という意味があったようです。楽じゃないですね。

亡国将軍様の服に雰囲気が似ていなくもないですが、実際これを着用していた人はあんなに肥えてはなかったんだろうなぁ。一般人には食べ飲み放題も無かった時代です。

国民服を資料館で見たとき、試しに着てみたかった(笑) 似合うんでうよこれ系。

さて、次は何やらレトロな袋と箱が。薬が入っていた物らしいです。
つきさっぷ資料館平安堂薬房。
意味はよく解らんがかっこいい!(゜∀゜)
引き出しを開けてみる……プ~ンと漂う正露丸のような臭い。
つきさっぷ資料館なにやら最高にクールなセンスの薬袋が!!
番一ゼカ
  ク プ ン ト
一服でトテモよくきく かぜねつの良薬
と縦書きであり、下部には
すでリスクゼカくきくよ番一
とな。今だとなんらかの法律に触れそうな謳い文句ではありますが、トンプクだし効くというか熱に効果はあったと思われますね。他いろいろ、下の袋には「霊薬」と怪しげな文字も。効果についてやや大げさな表現をした漢方とかでしょうか。とにかく臭いが正露丸(糖衣じゃない方)
今は広告やCMなどの表現で、嘘・おおげさ・まぎらわしい等と受け取られてしまう可能性のあるものは法律で制限されていますが、結構自由だった昔の商品は、今見ると面白い思いました。
現代の消費者的に「一番効く」「霊薬」と言われても戸惑いますが、だからこそ物珍しくて面白い。

さらに下の袋には、SEKIDOMEって……なんで咳止めがわざわざローマ字なんだ。戦時、アルファベットは使わせてもらえなかっただろうから、戦前のものでしょうか。
SEKIDOMEって……w

昔の薬のパッケージを見てデザインの素敵さに感動、私も興奮して熱が(´∀`)

昔のお金も。
二銭?中央が明治十年の二銭
左は天保通宝(てんぽつうほう/天保銭)というお金で江戸末期から明治に流通していたそうです。
明治十年の物価、お汁粉が三銭くらい、天保銭一枚だと盛り蕎麦が食えたらしい。
銭左は一銭、中央が大韓、左が大朝鮮とあります。
朝鮮半島の日本統治時代より前から、日本の民間銀行でも作ってた半島のお金。その後、日本(皇室)も出資して韓国に中央銀行を作ったそうです。歴史けっこう苦手ですが加えて銀行とか出てくるとサッパリわからん。

食糧購入切符ブレすみません。
主要食糧選択購入切符。
配給券というやつですね。昭和のもののようです。
戦時で食糧が配給制だった頃に、食糧を購入するのに必要な切符として配給されたもの。共産国は今でも使ってるんだろうか……
これ実物が見られて良かった。というかこれ個人の寄贈のようですが、食糧難の時代だったろうによく残ってたなぁ。

家庭用しょうゆ購入通帳家庭用しょうゆ購入通帳。
これは醤油を買った日付と配給量が手書きで記録されるもののようです。購入可能な量に制限があったんでしょう。
戦争で物不足になると、みそ・油・砂糖・塩、衣料品や炭などいろんな食品・日用品が配給制になったそうです。配給制と言っても、日本の状況からして十分な量では到底なかったと思います。

キャラメルと餅菓子レトロなキャラメル箱と餅菓子。
このキャラメルなんか見覚えがある。
左のカラフルな餅菓子は、年寄りが蔵の整理をしていたら出土したものなんだそう。小さなころの思い出がよみがえったそうです。
食べてみたい。
昔の煙草昔の煙草。日本にピースとか入ってきたのは戦後です。
どんな味がしたんだろう……敷島とか朝日(明治37年)とか、私の中では一藤さんが吸ってそうなイメージですが、一藤さんはそんな世代じゃないですね。ジジイ扱いしすぎですね。
恩賜の煙草恩賜の煙草。
菊の御紋入り。
天皇陛下が訪問先にお土産として持って行ったものなのだそう。吸ってみたい……一体どんな味が……
恩賜の煙草は現在は廃止、05年から皇民の健康を気遣ってのことなのかは解りませんがクッキーになったそうです。そのクッキー、すごく食べてみたいですが貰うには何かものすごい活躍とか功績が無いといけないんでしょうか?

レトロランプレトロランプ。
ちょっとかっこいい。

月寒村開拓時代の月寒村の様子。
棒人間が跋扈しています。

このあとはついに軍モノの部屋に突入します。
制服と歩兵銃もあるよ!
<つづく>
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